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【書評】多田羅健志「戦後外交と歴史認識 近現代史にみる二十一世紀日本の展望」

田母神幕僚長の受賞で話題になったアパグループの「真の近現代史」懸賞論文ですが、第一回の優秀賞(学生部門)を受賞なさった多田羅健志氏の論考「戦後外交と歴史認識 近現代史にみる二十一世紀日本の展望」には、歴史に学ぶことによって国家社会のこれからを考えるための具体的なビジョンが記述されています。

田母神幕僚長の大フィーバーに埋もれてしまうにはもったいない“珠玉の論考”だと考えられるため、こちらで紹介します。

多田羅論の主張の骨子は、「二十一世紀の世界を生き残るため、日本は従来の甘い考え方を早く改め、リアリズムの論理を踏まえた合理的な国家行動をとれるようにならなければならない」というものです。

戦後日本の問題として、多田羅論では「自虐史観」と「平和主義」の二つが挙げられています。それだけであれば、これまでの保守陣営の通説とかわらないのですが、多田羅論の面白いところは、「リアリズムの欠如は戦前から変わっていない」という分析をしていることです。リアリズムの欠如からくる日本の失敗には三つの失敗があるとされ、

 第一:願望と現実を混同すること
 第二:戦略的外交を苦手とすること
 第三:打算よりも感情を優先すること

が挙げられています。第一の点については、神国日本の精神主義と戦後の平和主義の類似について(いずれも理想理念に基づく「願望」を現実と混同している)、第二の点については、戦前の第一次世界大戦の参戦問題と戦後の湾岸戦争の参戦問題について、第三の点については、小村寿太郎への批判と松岡洋右への賞賛にみられる“気分の支配”と戦後の歴史認識問題の類似について記述されています。

具体的な問題提起として、日本の大学に「軍事学」という講座が存在しないことが挙げられています。記述によれば、「戦前の陸軍大学校でさえ兵学(方面軍規模程度の用兵学)の研究しかしていなかった」のに対して、「欧米の大学では盛んに軍事学やリアリズムに基づく国家戦略を研究し、教育している」ということです。

もうひとつの提言として、「多極化時代の地域安定のためには勢力均衡外交が大事である」とされています。「特に現在の北東アジアは、第一次世界大戦前のヨーロッパに似ているのでその時代から多くを学べるであろう」、「そこで日本が参考にすべきはイギリスの外交戦略だ」とされています。これを実際の政策に導入するならば、普天間基地の移設問題にしても、北東アジアの勢力均衡という[目的]にてらして、いずれの地点にコマ=防衛力を置くのが適切か?という視点がみちびかれます。

(そうすれば、まず日本の内海に位置する関空では現実的ではなく、沖縄か、せめて九州でなくては防衛力として機能しないということがはっきりします。騒音問題ももちろん大切ですが、まずは、“仮想敵”はどこで、どういった布陣でのぞめば勝てるか、というリアリズムの視点を忘れてはいけません)。

多田羅氏には、これ以外にも『現代のエスプリ475 構造構成主義の展開 21世紀のの思想のあり方』に掲載された「歴史学の信念対立を読み解く―構造構成主義的アプローチ」があります。こちらの論文では、従軍慰安婦問題をテーマとして、歴史認識において起こりうる対立を解きほぐすための理路がみちびかれています。関心のある方は、ぜひとも読んでみてください。