福岡藩士の精神(上)~郵政改革と玄洋社~
ときには時事問題にからめて、アクチュアルな政治について語るとしよう。とはいうものの、ぼくは“政局”だとか「参議院で過半数が云々」だとかいう話にはまったく疎いので、近代日本の歴史にからめた文化史的な観点から、“現代”を読み解く視座を求めることとする。
玄洋社とは、大アジア主義に基づき、李氏朝鮮末期の金玉均の反乱や、孫文の辛亥革命を支援した、福岡藩士を中心とする政治結社である。大東亜戦争での敗戦後、GHQによって「日本の国家主義と帝国主義のうちで最も気違いじみた一派」として解散させられた。吉村先生は、2008年に閉館した玄洋社記念館の最後の理事長をお務めになった方である。
結論からいえば、近代日本における郵便制度の発展は、中央集権的な国民国家の創設の一翼を担っていたのである。このことは、2005年以降に政治問題として持ち上がった郵政改革の根柢に深くかかわっている。
現在のぼくらにとって、日本全国に均一の料金で郵便物を送れることは、ごくごく当たり前のことになっている。しかし、江戸時代まではそうではなかった。当時、物流・通信の役割を担っていた飛脚便は、遠方の藩に送り届けるにはそれなりの料金がかかっていた。
江戸時代の人々にとっては、「くに」といえば藩のことであり、それが帰属意識の拠り所だった。そんな時代に新式郵便の制度設計をおこなった前島密のねらいは、「愛国心」の涵養であった。その枢要は、郵便制度だけでなく、漢字の廃止と「かな書き」の推進による言文一致運動の奨励によって、老若男女に通用する「標準語=国語」を創出するところにあった。
前島は、漢字による教育が、一方に読み書きのできない人たちを、もう一方に中国の書物の研究にのみ専心する人たちをつくりだし、普遍的な国民教育を施す障害になっていると指摘している。彼の提唱した「かな書き」は一般化するにはいたらなかったけれど、その本質である“表記の簡明化=普遍了解可能性の担保”は、明治期の言文一致運動から戦後の常用漢字制定にいたるまでの一貫した流れになっている。