倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

福岡藩士の精神(上)~郵政改革と玄洋社~

ときには時事問題にからめて、アクチュアルな政治について語るとしよう。とはいうものの、ぼくは“政局”だとか「参議院過半数が云々」だとかいう話にはまったく疎いので、近代日本の歴史にからめた文化史的な観点から、“現代”を読み解く視座を求めることとする。



吉村氏 国民新入りへ 参院福岡 党公認で出馬方針 2月16日15時7分配信 西日本新聞



自民党を離党した吉村剛太郎参院議員(71)=福岡選挙区=が国民新党入りすることが16日、分かった。吉村氏は改選を迎える今夏の参院選福岡選挙区(改選数2)に4選を目指して同党公認として立候補する方針。同日午後、福岡市内で記者会見して正式表明する。

 吉村氏は当初、自民党公認で同選挙区から立候補を目指していたが、同党が昨年末に新人の大家敏志県議(42)を公認したことに反発して離党。郵政民営化見直しに関する法案や永住外国人に地方選挙権を付与する法案などで国民新党と考え方が近く、15日に同党の亀井静香代表と会談して同党入りを決めた。


吉村先生は、山崎拓と同様、玄洋社の精神を受け継ぐ政治家の一人である。

玄洋社とは、大アジア主義に基づき、李氏朝鮮末期の金玉均の反乱や、孫文辛亥革命を支援した、福岡藩士を中心とする政治結社である。大東亜戦争での敗戦後、GHQによって「日本の国家主義帝国主義のうちで最も気違いじみた一派」として解散させられた。吉村先生は、2008年に閉館した玄洋社記念館の最後の理事長をお務めになった方である。



東亜共栄の大義を標榜し、大陸浪人を率いて野心的かつ実践的なはたらきかけをしていた政治結社の末裔が、二十一世紀のいま、真正の保守政党である国民新党に入党するということは、とても心強いことだと思う。

これを読んでいる人のなかには、「郵政民営化見直し」の政党と「大アジア主義」、「東亜共栄」、あるいは「真正の保守」がどうかかわってくるのか不思議に思う人もいると思うので、説明しよう。

結論からいえば、近代日本における郵便制度の発展は、中央集権的な国民国家の創設の一翼を担っていたのである。このことは、2005年以降に政治問題として持ち上がった郵政改革の根柢に深くかかわっている。

現在のぼくらにとって、日本全国に均一の料金で郵便物を送れることは、ごくごく当たり前のことになっている。しかし、江戸時代まではそうではなかった。当時、物流・通信の役割を担っていた飛脚便は、遠方の藩に送り届けるにはそれなりの料金がかかっていた。

江戸時代の人々にとっては、「くに」といえば藩のことであり、それが帰属意識の拠り所だった。そんな時代に新式郵便の制度設計をおこなった前島密のねらいは、「愛国心」の涵養であった。その枢要は、郵便制度だけでなく、漢字の廃止と「かな書き」の推進による言文一致運動の奨励によって、老若男女に通用する「標準語=国語」を創出するところにあった。


前島は、漢字による教育が、一方に読み書きのできない人たちを、もう一方に中国の書物の研究にのみ専心する人たちをつくりだし、普遍的な国民教育を施す障害になっていると指摘している。彼の提唱した「かな書き」は一般化するにはいたらなかったけれど、その本質である“表記の簡明化=普遍了解可能性の担保”は、明治期の言文一致運動から戦後の常用漢字制定にいたるまでの一貫した流れになっている。

紙媒体による情報網を日本列島全体にはりめぐらせ、、同時に、「標準語=国語」の創出によって「愛国心」の涵養と「国民国家」の立ち上げをめざした前島密の先見の明は、卓越したものであった。

以上の点を考えるならば、“郵便制度を問うこと”は不可避的に“日本の国家制度を問うこと”にも直結する。かつて小泉純一郎が「郵政は改革の本丸」といい、綿貫民輔先生が「郵政見直しは一丁目一番地」とさかんに力説していたのは、双方の方法論の相違こそあれ、国家のあり方を問いなおすという関心・認識において共通していたということでもあるのだ。(つづく)