倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

真正の友愛外交 -日本列島にNATOの軍事基地を!-

外交戦略において、「中国につくか、アメリカにつくか?」というのは、今後の日本のあり方を考える上で、避けてとおれないテーマです。

ぼくは文学研究が専門なので、じぶんの興味・関心に比較的近い“思想・文化の歴史的な流れ”に関連づけて考えてみます。

ぼくの提案は、ちょっとブッ飛んだ“第三の選択”で、「日本列島にNATOの軍事基地を!」というものです。かなり突飛な発想なんですが、「多極化する世界のなかで日本と価値観を共有することができるのは、アメリカとヨーロッパだ」という考えが背景にあります。

1990年代の世界は、アメリカを中心とする“グローバリズムの時代”とされていました。東西冷戦に“勝利”した資本主義陣営が、「自由」と「民主主義」という“普遍的な価値観”を世界に配信していく。それが、90年代に支配的だった世界観だと思います。それが、2001年の同時多発テロ事件を契機として、「アメリカのいう自由と民主主義は、抑圧されている地域の人たちをほんとうの意味ですくいあげていたのか?」という問題提起がなされたわけです。

(※註 あの事件が「アメリカ主導の自作自演」であるという意見も根強くあります。ぼくもそれを否定する証拠はもっていません。ただ、そうであっても、いや、そうであればこそ、自国の外部に“敵”をつくってまで強引に国力を維持しようとするアメリカの軍産複合体の経済が行き詰まりつつあるということがわかります)

以後、アメリカによる一極支配が終焉し、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)に代表される“新興勢力”(しかし、その正体はブラジル以外、中近世に覇権を握っていた“世界帝国”)が台頭することによって、二十一世紀は多極化の時代をむかえつつあります。

こうした流れのなかで、日本経済が対中国に傾斜していくことは、ごくごく自然なことでしょう。もともと中国と日本は(地理的にも、歴史的にも)ゆかりの深い国同士です。ただし、それが「依存」というレベルに達してしまうのはやはりマズいでしょうね。それは、ひいていえば、“現時点で、基本的人権をはじめとする「自由」の価値観を、人民に認めていない国”に日本の資産を流出させることと同じですから。

多くの民族・言語・宗教をかかえる“世界帝国=広域国家”を統治なさっている中国共産党を責めるつもりはまったくありませんが、やはり、少数民族やその言語・宗教にたいする圧政がきこえてくる現状をみると、国民にたいして(ある程度)「自由」の価値観を普遍的に与えている日本が、思想・文化的な面で中国にアドバイスできる余地はまだまだあると思います。(ただ“追従”するのではなく、それができてこそ“真正の友愛外交”です)。

ただ、専守防衛に徹していてパワーバランス的に弱い立場にいる日本にとって、そのような“主導的な役割”を担うことはかなり難しいと思います。

以上の点をふまえてのぼくの提案は、(すこし突飛で非現実的かもしれないんですが)日本列島から台湾に至る環太平洋弧状列島にNATO北大西洋条約機構)の軍事基地を置くことです。むろん、NATOはヨーロッパ諸国のあいだで結ばれた軍事同盟ですが、「旧東側諸国(中国・ロシア)の台頭を牽制することによって世界規模での“勢力均衡”を保つため、自由の価値観を共有する日本を戦略的に組み入れる」という選択肢は、ヨーロッパ諸国の国益にもプラスにはたらくと思います。かつての日英同盟も、対ロシアの“勢力均衡外交”の産物でした。(次期支援戦闘機の問題で「ユーロファイターを購入すべき」とぼくが主張しているのも、この文脈でのことです。)

これは、中国、ロシアとアメリカが対峙する環太平洋のパワーバランスに、“「自由」の価値観の生みの親=ヨーロッパ”を強引にねじこむ作戦です。日米同盟は今後とも日本外交の基軸ではありつづけるでしょうが、「アメリカの優位性が今後相対的に低くなっていくなかで、“勢力の均衡”を保っていくためには、価値観を共有できるヨーロッパと同盟を結ぶべきではないか」というのが、ぼくの意見です。