倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

《言語論的転回》以降の伝道と教会のありかた(1)


'''IT時代の伝導・教会'''
2008年11月23日 15:26

シンドラ
IT時代における福音伝道も教会の在り方も大きく変化してます。ここでは各教会においてどのようにIT活用されているのか、その是非も含めて議論をしたいです。またこのミクシーも含めIT活用におけるメリット・デメリットを勘案し、クリスチャンとしてあるべき姿を探っていくものです。

1 2008年11月23日 15:55
シンドラ

約2年前、ヤフーチャットに登場したQちゃん牧師によってチャット伝導の歴史は大きく変化しました。当時の福音的なのチャットルームは、極めて閉鎖的かつ教条的なものになっていました。(賛美歌を流しながら、強制ログで聖句を流す状態) 

ヤフーチャットに登場したQちゃん牧師は、荒らしの歓迎を受けましたが、その荒らしの少なからず多くの人が「救いを受けた」と証しています。いったい、何が他のインターネット礼拝や伝導と違うのか。 

まず双方向性を生かした伝導であった点があると思います。いわゆる一方的な説教・伝導ではなく、匿名性を生かした双方向的福音伝導が可能であったことは、多くの教派のクリスチャンに支持されている所以です。 

またチャットチャーチ、さらにネット洗礼まですることが可能であったのは、恐らく形式主義より実質主義へと「教会」の在り方を持つことができたからでしょう。このような実質主義は、精霊主義に結び付きやすく、彼のネット上での活動を可能ならしめたと思われます。 

最後に、この2年間のチャット伝導・チャットチャーチなどの彼の活躍は、また多くの批判を浴びてきました。歯学部出身である彼の経歴や、「ご利益主義」と結びついた信仰、さらにネット洗礼まですることへの疑問。これらは、形式主義からの批判であったと思います。 

そして私の立場である実質主義の中で、このようなチャット伝導に出会えたことを感謝しています。「教会」を霊的・実質的に解するれば、多くの人の救いになると思います。

2 2008年11月23日 19:59
シンドラ

ヤフーチャットにおけるクリスチャン部屋の歴史的考察 

初期のクリスチャン部屋は、私はよく知らないが伝えられるところによると数人のクリスチャンの交わり、つまりこのコミュと概して変わらない世間話をする程度であったといわれる。4年ほど前くらいには、精神疾患の部屋主のクリスチャン部屋があった。この部屋では、ほぼ24時間開かれている状態であったが、部屋主の通っている(というか精神疾患のために牧師訪問を受けている)教会のテープを流しながら、時々部屋主のボイスを聞く状態であった。 

これらの初期クリスチャン部屋の特徴は、井戸端会議の延長から聖書話を中心とする福音的なものへと変化していった。この変化は、必然的に非聖書的なものを排除するという排他性を帯びることになった。初期の弾圧は、カトリック信徒や聖霊派などであった。次第に未信徒やプロテスタント信徒の揚げ足取りを行う糾弾会にまで転じ、その恐怖政治は部屋主の精神疾患の悪化とともに部屋閉鎖として終焉した。 

次の部屋主たちも聖書的な話をむしろ強制的なログで流すという一方向的なものであり、ほとんど会話の方向性も部屋主が指示するものであった。この部屋では、弾圧はまるでどこかのコミュのように(笑)メッセを通じて密告制度の下で機能を果たした。それゆえ、クリスチャンの交わりでありながら、いつも他人の視線を気にしなくてはならない状態であり、密告の奨励によって陰では悪口のオンパレードであった。 

なぜクリスチャン部屋で「証」「祈り」などがなかったのか、初期の「交わり」を目的とするだけの時からその限界点は明らかであった。それは福音的な部屋主になってもその状況の変化はなく、形式的なものへの過度の依存が原因として考えられる。彼らは聖書の形式的なものから出発したものであり、それは聖書の言葉を形式的にしか捉えることができなかった。そして形式的にその言葉をどう定義し、どう解釈するかという問題にしか発展することができなかった。つまりそのクリスチャン部屋にこそイエスが宿っているという実質に達することができなかった。 

一方、Qちゃん到来以降、既存のクリスチャン部屋は消滅し、Qちゃん部屋に集約させることになった。その時、初めてクリスチャン部屋に神様が宿っているという実質主義に下で「証」「癒し」「祈り」という当然のことはなされるようになった。 

3 2008年11月23日 22:10
服部@映画瓦版

日記か自分のHPでやってくれ。

4 2008年11月23日 23:01
シンドラ

ヤフーチャットにおけるクリスチャン部屋の歴史的考察(2) 

Qちゃん到来以降におけるヤフーチャットの福音伝道は、むしろ荒らしによって形成されてきた。私もQちゃん部屋を荒らしていた経験からすると、初期Qちゃん部屋の「荒らし」は後の信仰者の基礎形成期にあたると思われる。 

「ザーメン」「ラーメン」など怒号と飛び交う「Qちゃん部屋」に対するクリスチャンの視線は冷たかった。当時の認識では、Qちゃんは似非牧師という噂が伝聞された。 

そもそも1%以下のクリスチャン人口の中、突然現れた牧師を名乗る男に対する反感や反発は想定内であった。当時の印象としては、ホームレスの証など「ネタ」的要素があったり、Qちゃんが喧嘩部屋の人に殴られる動画が放映されるなどキワモノ 的要素が大きかった。しかし「ザーメン」「ラーメン」など罵倒していた人間が2年後には「アーメン」と叫ぶことは、当時は誰も予想だにしていかなかった。なぜなら、チャット伝導などは成功するはずないという確信に満ちたものが支配していたからである。 

5 2008年11月23日 23:16
善の善

 失礼します。僕も昔はよくひまつぶしに行っていましたが、なんか影でコソコソやってそうな感じがしたのでやめました。また、話も続かなかったです。また、クリスチャンでも時々ひどいことを言う人もいるので気分を害したりもしました。 

 伝道するということは相手の罪を背負うということでもあると思います。ヤコブの手紙 
5章20節 
「かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。」 
  
 相手の状態をみて御言葉を述べないといけないと思います。聞き取る人によっては気分を害するかもしれません。弱い人もいるのです。 
  
 でも、救われた人がいるなら本当にそれはいいことだと思います。