いま敢えて、九条保持を主張する。
21世紀を迎えた現代にあって、憲法改正はかつてないほどの現実味を帯びつつある。これは国内世論の変化のみならず、国際情勢の変化(…具体的には、ポスト冷戦、アメリカによるグローバリズム、それに対する反抗として全世界に波及するテロリズム=レジスタンス運動、以上の如き問題に集約されよう)を眼前にして、半世紀以上の時間を閲した国家の「constitution 憲法=構造設計」に現実との乖離が生じはじめたものと一面において言い得よう。
また、憲法改正を論議するにあたり、戦争放棄を謳った第九条はしばしば最大の議題として焦点化されてきた。筆者もまた、これが日本国の安全保障の上に大きな束縛を与えているという事実認識に異存はなく、将来的にはこれを改正して日本国が自尊と自立の精神を取り戻すことを希う者である。何人も自ら助くる気概なくしては、決して救われることはない。自尊と自立とは、人の善く生きるための基本的且つ崇高なるスタンスである。
また、憲法改正を論議するにあたり、戦争放棄を謳った第九条はしばしば最大の議題として焦点化されてきた。筆者もまた、これが日本国の安全保障の上に大きな束縛を与えているという事実認識に異存はなく、将来的にはこれを改正して日本国が自尊と自立の精神を取り戻すことを希う者である。何人も自ら助くる気概なくしては、決して救われることはない。自尊と自立とは、人の善く生きるための基本的且つ崇高なるスタンスである。
しかしながら、今後5~10年間に生じるであろう国際情勢の急進的変化を見据え、当面の間、敢えて憲法第九条を保持することを筆者は提起したい。
もちろん、ここでの意見表明がほとんど(…というか、まったく)日本の国家運営に影響を及ぼさないことは十分に承知している。承知した上で、あくまでも個人的な見解として、憲法第九条の持つ可能性についてここで論じてみたい。それは、各国がナショナル・アイデンティティ(国民的一体感)を探ろうと躍起になる現状を鑑みて、「国民の、国民による、国民のための憲法」の制定が21世紀的な国家運営には必要であること、またそのために、国民一人一人が自らの意見を持ち、他者への発信を通じてその信条を確立せしめんとする実践的努力が不可欠であること、以上の理由に拠るものである。
もちろん、ここでの意見表明がほとんど(…というか、まったく)日本の国家運営に影響を及ぼさないことは十分に承知している。承知した上で、あくまでも個人的な見解として、憲法第九条の持つ可能性についてここで論じてみたい。それは、各国がナショナル・アイデンティティ(国民的一体感)を探ろうと躍起になる現状を鑑みて、「国民の、国民による、国民のための憲法」の制定が21世紀的な国家運営には必要であること、またそのために、国民一人一人が自らの意見を持ち、他者への発信を通じてその信条を確立せしめんとする実践的努力が不可欠であること、以上の理由に拠るものである。
今後の連載を通じて、21世紀における日本の役割を以下の観点から考察し、ここに提示せしめんとつとめたい。
これらは国際社会において、東洋の有色人種による国家として初めて近代化に成功した日本だからこそ可能な役割に他ならない。願わくは、この記事が些末ながらも我々の明日を切り拓くための礎の一つとならんことを。……