倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

覚書 ~グローバリゼーションと人間の主体的態度表明について~

 今日は、グローバリゼーションをテーマとするプチ研究会だった。(そのつもりはなかったけど、気がついたら、そんな議論になっていた)。グローバル化は進行しているが、それは「世界が一つになること」ではなく、「世界は一つではないということが、全体情勢のなかであきらかになること」だといえる。

 グローバリズムとは、あるひとつの普遍的な枠組み(=構造)によって世界を把握しようとするイズムにほかならない。世界の内部に生活している人々(=主体)に焦点化するならば、その枠組みを受容するのか、対抗するのか、(あるいは、別の可能性を選択するのか)という態度表明を迫られることになる。

 人間(=主体)の思考は、言語によって規定される。(人間をとりまく文化・習慣だって、つきつめれば、ことばによって形づくられ、受け継がれていく)。そして、具体的な言語活動の運用は、ことばの法則(=ラング)をたがいに共有する「自己-他者」を前提とする点で、コミニュケーション論的である。

 だから、「ある特定の状況下において、人間は、いかにして主体的な態度表明をするのか?」を考えたければ、まずもって、「ことばによるコミニュケーション」について考えなくてはならない。政治、経済、文化、宗教、国家、文学、音楽、人間……すべては言語によって思考され、また、思考するのだから。