「実名-匿名論争」~第三項としての筆名について、あれこれ~
インターネット言論で信念対立が起こるたびに「実名-匿名論争」とでも言うべきものが蒸し返される。簡単にいうと「実名=責任ある言論」みたいな図式。ある程度の事実を言い当てているのかもしれないけど、じっさいには、じぶんの「筆名」に責任を持っている人はたくさんいる。ぼくだって筆名なのだ。
ぼくの筆名は、イラク戦争や皇位継承問題について意見を書いてたころから使いつづけていて、たぶん、「実名で認知してくれている人」よりも「筆名で認知してくれている人」のほうが圧倒的に多い。そういった方々とは、当然、リアル世界での親交も生まれるわけで、他者への責任はおのずと芽生えてくる。
それにしても、この名前でずいぶん戦ってきたなという感慨はある。
ぼくの主張は、いつだって、「よく言えば中道、わるく言えば中途半端」だった。この“中途半端さ”を理論的にささえるコトバをさがしてた。それがハインリッヒ・ロムバッハだったり、カール・バルトだったり。とはいえ、いまは、「振り切れる勇気のほうが大事かもしれない」と思うこともときどきある。