倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

神学的構造構成―「環境」と「神」の存在論―

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 「環境」とは、ある「主体」を中心点として描かれる“円周”のことであり、
 「神」とは、(仮構された)“コンパスの軸”のようなものである。
  ――by きちがいはかせ





友人の論文が掲載された『構造構成主義研究3』(北大路書房)が発売になりました。全国の書店でお求めになれます(特にジュンク堂なら、たいていの店舗には在庫があるはずです)ので、もし関心があれば、ぜひとも読んでみてください。

第三号のテーマは「医療」です。今回の目玉である座談会は、岩田健太郎・八杉基史・西條剛央の三氏による「医療現場の諸問題を問い直す-構造構成主義は医療教育現場でどのように使えるか-」というものです。また、医療をテーマとした論文、あるいは医療について言及している論文が多く掲載されていました。

友人の論文は、(医療現場に限らず)予測不可能な出来事が“その都度”起こりうる現場において、「そうした出来事の生成変化にどう対応すればいいのか」というモンダイに“しなやか”に対応するため、「そうした出来事が生成変化したと“われわれが確信する条件”は何か」というふうに、モンダイをひっくりかえして論じています。まるで“コロンブスのたまご”のような切り口ですが、こういうふうに「私たちの認識」に立って考えていくことを「現象学的思考法」といいます。

これとは逆に、「ある出来事が起こって、それによって状況が変化した」というふうに外部的な視点(=客観)から因果関係を説明する方法もありますが、それはしばしば“岡目八目”な講釈でしかありません。それは、ある出来事が起こってしまったあと(=事後的)にその出来事に言及する場合(例:「現場検証」など)には有効性を発揮しますが、まさにそのとき現場に立ち会っている主体にとっては、あんまり役に立たないのではないでしょうか。

友人の論文では、現象学的思考法を基礎にしながら、ロムバッハの構造存在論から「契機相関性」という定式を導きだしています。これは、「契機」、すなわち[(存在、意味、価値)のうつろい]を記述することによって、現場において起こりがちな不測の事態に対して、既存のマニュアルに頼るのではなく、「上手くいかなさ」を“てなづけ”ながら、自分なりの方法を手さぐりで(ホントウの意味での“マニュアル化”)編み出していく可能性を開いています。

噂によれば、「(構造構成主義の)史上、最高の論文」とかいう話もちらほら(笑)。われわれの生きている「情況」の、われわれの「うごき」における、われわれのための論文です・・・ちょっと褒めすぎましたか、いやいやそんなことはない(笑)。

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次回、第四号のテーマは「環境問題」とのこと。「地球温暖化説」(「二酸化炭素のような“温室効果ガス”によって地球の気温が上昇する」という、一部の科学者が主張している仮説)や、「環境」にかこつけて特定の団体への“利益誘導”が行われている「エコ」ならぬ「エゴ」の横行といったように、現在の環境問題にかんする議論には、どこか平衡を失したところがあります。次号は、そうした現状に「地球のまえにアタマを冷やせ」とツッコミを入れる内容になるのではないかと思います。

「環境」というコトバは、一般的には、[人間の外部にある世界]のことをいいますが、厳密には世界をそんなふうに「内部」と「外部」に分けることなんてできません。わかりやすい例をいえば、人間はみんな呼吸をしています。そのさい、空気中の「酸素」は“人間の外部のなにか”ですが、いったん肺のなかに入ると、それは身体中にいきわたって、人間の生存に欠かせない要素として機能しはじめます。複数の細胞が共生しあって身体をつくっているのと同じで、その場合は酸素も“広義の身体組織”として捉えなおすことができます。そうしたら、もはやそれは、“外部のなにか”だなんて言えないはずです。つまり、「人間」と「環境」とは、対立概念ではないのです。

そもそも、「環境が悪化している」という価値判断はどのように下すのでしょうか。たとえば、“有毒な化学物質”や“核汚染”なんかの場合には、まあ、たしかに環境にわるいと言えるかもしれません。だけど、たとえば「(二酸化炭素が増加して)気温が上昇する」ことが、環境の“悪化”であると言えるのはなぜでしょうか。ちょっと考えると、じつはこれ、“人間さま”の基準にてらした“勝手な判断”にすぎないということがわかってきます。じっさいには、気温が上昇すれば、地球上の生命活動は活発化します。(そのことは、現在よりも気温が高かった中生代に巨大恐竜が繁栄したことからもうなずけます)。深刻な食料問題を抱えている二十一世紀の世界にとって、シベリアの永久凍土を巨大な穀倉地帯に変える可能性は、まさに夢のような話です。だけど、その可能性を閉ざしているのは、「海面上昇で土地が消える」だとかいう、“人間さまの都合”です。(ツバルのみなさん、すいません!)。地球はそれじたい生きて動いているので、地形も変われば、気候も変わります。そこに生きている生態系だって、生まれては、また滅ぶことを運命づけられています。「北極のシロクマがかわいそう」だなんて、“情け”をかけていられるほど、歴史は甘いものではありません。

ほんとうは、「情けをかけている自分の認識を疑う」必要があるのかもしれません。ここでも、「環境」というものを定義している「私たちの認識」がモンダイとなっているのです。

そうやって考えていくと、「環境」とは、[主体の身体機能を維持するために最適化された周辺諸契機のこと]であると、ひとまずは定義できます。けっきょく、「環境」問題を考えるというのは、[「環境」として設定されている座標軸の原点として措定される、我々「人間」自身の“生存の問題”をどう考えるか]という、なにやら哲学的なモンダイを解くことに行き着きます。

そうすると、これは“つきつめれば”の話ですが、「そもそも、人間の“究極の判断基準”とはなにか」というモンダイに逢着するのではないかと思います。人間は“あいまいで誤りうる”存在です。そんな“誤りうる私”を“疑い得ない私”として“思考の出発点”にするということは、「そうした判断の妥当性を担保している価値基準はなにか?」という悩ましいモンダイに、私たち自身をいざないます。

ちょっと飛躍があるのですが、ぼくが思うに、人間の思考は“究極の判断基準”として「神」を仮構せざるをえないのではないかと思います。もちろん、「神」ではなくて、「仏」とか、「真理」とかでもかまいません。(そもそも、誤りうる「人間」に“究極の基準”なんて把握できないと思うので、“呼び方”はこのさいどうでもいいです。なんでしたら、「のっち師匠」とかでもかまいません)。いずれにせよ重要なのは、「人間はそうした“究極基準”に到達することはできない」けれど、「しかし、われわれはそれを目がけていく“欲望”を持っている」ということです。「真理」なんてモノをみた人は誰もいないと思う(※私見によれば、釈迦もキリストもそんなモノの“実在”は否定してます)ので、“究極の価値基準”なんてのは、根本的には“仮説”でしかありません。だけど、やっぱり我々の思考にとっては、なんらかの真理があると仮説してかからなければ、そもそも考える欲求が萎えてしまいます。

(たとえば、友だちが“なぞなぞ”のモンダイをふっかけてきて、いっしょうけんめい考えてたのに、友だちが舌を出して「答えなんてないよw」とか言ったらどうしますか? 首をしめたくなりますよね? やっぱり、ウソでもいいから“答え”があることにしてほしいものです)。

けっこうキリスト教界の方々のあいだでも構造構成主義は注目されはじめていて、にもかかわらず神学を射程にすえた論文がないので「がっかりした」という声をきいています。

ぼくが思うに、「神学」とは、この世界(=環境)とぼくらの“関わり方”(=関係形式)を記述したものです。「神学」という“枠組み”のモンダイを戦略的な“出発点”としながら、日常的な生活世界における諸問題(目的へとめがけていくわれわれの欲望)を解き明かしていくという視点は、しばしば忘れられていると思うし、ホントウはとても大切なものだと思っています。

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さて、昨日は『構造構成主義研究』を買うために池袋のジュンク堂まで行ったので、“ついで”と云っては何ですが、京極真さんの連載がのっている『看護学雑誌』も購入してきました。看護学を専門としていないぼくが看護学関連の本を買ったのは、記憶しているかぎり、初めてのことです。というか、ジュンク堂が「6F」まであるということも今回初めて知った気がします。(「売り場案内」の表示で見てたはずだけど、いつもは4Fまでしか用事がないので、「ぼくの内部には5F以上が存在化していなかった」ということらしい)。

京極論は、「どのような医療が“よい医療”と言えるのか」がテーマで、義務論、功利主義、徳倫理といった既存の枠組みの“有効性と限界”を指摘しながら、それらを柔軟に併用したり、使い分けたりするための理路として、「関心相関的よい医療論」をまとめています。ざっくりというと、「よい医療というのは関心に相関して決定されるというもの」です。ようするに、「初めから“よい医療”なんていえるモノはどこにもないから、現場の試行錯誤のなかで主体的に見出してゆけ」ということだと理解しました。

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さてさて、もうすぐmixiで仲良くさせてもらっているまみっちさんのバンド「red pepper girls」がメジャーデビューするとのこと。それに先駆けて、今日発売の「週間プレイボーイ」にグラビア写真が載ってるらしいのですが、その手の雑誌を買ったことがないので、まずは書店で読んでみます(笑)。



↑動画あります。2の一曲目がおすすめかもね。