表現と奉仕―死のかげの谷を歩むとも―
きのうは、久しぶりに昼を感じた。肌におひさまのにおいが焼き付いていて、いまでもこんがり香ばしい。
なつかしい“光り”のなかで、「死のかげの谷を歩むときには、やはりともしびが必要なのだ」と思うと同時に、この紫外線を被曝しながら刻苦の日々を生き抜いている人たちのことを、ほんとうにたくましく思ったりした。
横浜で「開港150周年」という看板をみて、「そうだ、今年はプロテスタントの日本宣教150周年でもあったかな」などと思ったり。
二〇〇九年。
いまの僕には、いったいどんな“奉仕”ができるのだろう。“答え”はいらない、その“問い”だけがあればいい。たとえ死のかげの谷を歩むとも、僕はわざわいを恐れない。 あなたが僕のそばにいるから。amen