倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

【言語論】客体としての「自己」―コトバの他者性にかんする一考察 ―

アゲハチョウ科の成虫は、羽化の時期によって「春型」と「夏型」とに分類される。春に発生する個体を「春型」といい、夏に発生する個体を「夏型」という。 ……ということを知ったのは、幼稚園の先生にもらった「はるのずかん」で読んだときのこと。たしか入院中(三歳当時)のことである。子どもごころに「ほんとうかな?」と思い、退院したら自分の目で見てたしかめてみようと決心した。

「ずかん」によれば、「春型」は小さく、羽根の模様が鮮やかであるのに対して、「夏型」は比較的大きく、羽根の模様は淡いと云う。たしかめるために、退院後、僕は「虫取り網」をもって、畑の中を荒らしてみたり、“くらやま”のなかに分け入ってみた。“くらやま”というのは、木々が鬱蒼として“暗い”山だから僕が勝手に名づけただけだが、僕がしきりに「くらやま、くらやま」と言っていたから、当時は近所の友だちのおかあさんまで、その山の名前は「倉山」であると信じていた。ホントウの名は「浅川霊園」といい、炭坑の落盤事故で命を落とした人たちを鎮魂する聖域である。

さて、そうやって実際にアゲハチョウ科の「ちょうさ」(註:子どもながらにそう言っていた)を始めたわけだが、ふしぎなことに、僕の網にかかる蝶たちは、かならずしも「はるのずかん」の定義と一致しない。春型であれ夏型であれ、デカイのもいればチビもいる。派手目もいれば、控え目もいる。

余計なことかもしれないけれど、僕が読んでいた「はるのずかん」は、入院中に僕がたいくつしないようにと幼稚園の先生がとくべつにくれたもので、他のやつらが持っていた「はるのずかん」とは内容がちがっていた。僕はひそかに、「じぶんのずかんがせかいでいちばんただしいはず」だと思い込まされていたところがあって(人間は、こういう“特別感”に弱い)、網の中の「実物」と図鑑のなかの「写真」とを見比べながら、どうしてこうも食い違うのかと、ふしぎでふしぎでしょうがなかった。いまとなっては理由は単純、要するに“個体差”があるからである。

“個体差”のある「実物」(=現象)を、「写真」その他のデータ(=構造)として書物のなかに収めることは、つねに“データの圧縮”を伴うものである。端的に云えば、三次元から二次元へ。その過程で、“個体差”は“実験誤差”とみなされ、最終的なデータからは捨象されてしまう。厳密に云えば、これは書物だけではない。MDとかCDの音質が生楽器の質感を伝えきれていないことだって、これが根柢にかかわっている。人間自体もそうである、老若男女・三者三様に“個性”があるのだから、じつは、「普通の人」なんて世界中のどこにも存在しなかったりで、……んん、だけどこれじゃあ、こないだ書いた日記の内容をおさらいすることになるだけだ。……というわけで、ここからは、僕がいかにして“本の虫”になったのかということを書くことにして、次の問題へとつなげていきたい。

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話は小学校時代にうつる。じつは、僕には、「まったく喋らない子ども」としてすごしていた時期がある。もうすこし具体的にいうと、五十音のうちの「カ行」の音がうまく発音できなくて、それが原因でコミニュケーションに支障をきたしていた、……というと、ちょっと大げさに聞こえるのだろうか。いまとなっては笑えるのだが、小学生ぐらいの(特におとこの)子どもというのは、そういう他人の欠陥をいちいちあげつらって笑い者にするのが好きなものである。それで、教室ではいつも一言も喋らずに「ぼけー」っと静かに座っていた。そうすると、教室のなかで音響を発して呼応しているひとたちが、まるで別の世界の存在のようにみえてくる。もちろん反対の立場からすれば、一言も喋らずにただ「ぼけー」っと座席を温めている一個の身体は、奇妙というより、かなりの怪異だったのかもしれない。そんな僕に、周囲の級友とか先生とかは、何かと世話をやいたり、心配したり、ときには叱責したりしてくれたような記憶がある。しかし、ぼくにはもはや外界のそうした雑音自体があんまり興味を引かなかったから、そんなこと気にせずにひたすら本を読むようになっていた。いったい書物というのは、読者が喋らないからと云って、けなしたり、心配したり、叱責したりはせず、むしろ黙読を奨励してくれるようなところがあってありがたい。けっきょく僕は10歳ぐらいまで、そんな感じですごしてきた。

そんな感じで生きてきた人間が、いったい何を思って人並みに喋りだしたかというと、要するに「喋らないやつは女にモテない」という、身も蓋もない人生訓をどこかで読んで悟ったからである。

さて、そうやって、僕は音響の世界へと移住してみたわけなのだが、それで無事、人並みな人間になり仰せたのかというと、そうではない。本当の困難は、じつはそのあとにはじまった。 それまで「別の世界」だと思っていた世界、すなわち音響の世界へ移り住んでみると、以前生活していた世界と比べて、どうにも住み心地のわるいことに気が付いた。引っ越し当初の悩みというのはだいたい水道にかんするもので、僕の場合も似たようなものだった。というのも。僕のアタマのなかの考えは、どこか液状のモニャモニャした感じがするのだが、いざアタマをひねって発音すると、何とも情けない物体が喉から吐き出されてくる。それは声にはちがいないのだが、なんだかこう、アタマのなかにあるのとはちがう。ぱさぱさに乾いてしまっているのである。のみならず、長らく音響の世界に親しまなかった僕の聴覚は、人の声を聞き取るための機能が退化してしまっているらしい。遠くの物音はやけに耳もとに響いてくる(=地獄耳)くせに、人の声、たとえば、電話越しにいわば暗闇から投げつけられるような不規則なコトバのやりとりだとか、スーパーの店員さんの「袋をご利用ですか?」といったコトバとかが聞き取りにくい。 音響の世界のなかで、というよりも具体的には消費社会の流れ作業のなかで、僕はずいぶんと流れを狂わせる“欠陥歯車”であるらしい。

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こういうことを書くと、「奇をてらって書いている」ように思われるのかもしれない。しかしながら、僕にとっての「世界」はこういうふうにしか見えていない。“「あなた」の世界”がどんな容貌を持っているのか、基本的に僕が知らないのと同じで、“僕の世界”がどんな容貌を持っているのか、基本的に「あなた」は知らない。そもそも、たぶん「世界」というのは、一人ひとりにぜんぜん異なる姿で立ち現れていると思うよ。ネコにとっては、なわばりの内部が「世界」のすべて(病院へ行くときに泣いているのは、注射が怖いだけじゃない)。子ども時代の僕にとっては、家と幼稚園と公園と“くらやま”が「世界」のすべて。おそらく、一流のピアニストにとっては、鍵盤の上が「世界」のすべて。世界自体なんて存在しない。一人ひとりにとっての「世界」が立ち現れているだけだ。

こんなことを書いていると、どうやら僕は自閉症的な世界観(=信憑)に囚われているように読んだ人には映るかもしれないけれど、だいじょうぶ。どうやら「ここに書くということは、それを読むであろう他者の存在を前提とせずにはありえない」からだ。……え? こないだの日記のさいごに「日記というのは他人の読むものではなくて自分が読み返すものだと“思い込んでいる”」って書いてたじゃん、だって? いやいやいや、参ったな。「書いてる僕」にとっては、「読み返す自分」は、継起的な時間軸の上ではまだ存在しない“未知の存在”(=他者)ではありませんか。三歳児の僕が、「彼」のことを想起している二十四歳の「僕」のことを「自己」だと認識すると思う? (みんなの場合にあてはめて、想像してみてよ)。……まあいいや、これはおいおい書くとしよう。大切なことは、コトバは他者を前提としているということである。一九九〇年代、文部省の国語教育にかんする方針の骨子が「自分の考えを、自分の言葉で表現する」ことに集約されていたことはご存知だろうか。もしご存知でないとしても、基本的に僕らの世代は、この「自分の言葉」という信念の下に国語を教えられてきた世代である。だけど、どうだろう。ほんとうに「自分の言葉」ってあるのかな。

結論を先取りしていえば、コトバは自己と他者とのあいだを隔てている空所、了解不可能性の断崖である。

とつぜんだけど、これを読んでいるみなさんのなかに、「じぶんは生まれたときからコトバを知ってました」って人いますか? ……えぇ、一人もいないんですか。……しょうがないな。……それじゃあ、みなさんの知ってる人のなかには、そういう人いますか? ……なになに、……お釈迦さま? そう、彼は天才だ。ただし、彼のような天才はここでは扱わないことにしよう。なぜかというと、僕らは天才(=神仏)じゃないからこそ、世界(=現象)をよりよく知るための方法(=構造)を探求しているのだからです。

と、いじわるな質問は終わりにしよう。普段、僕らが使っている言葉は、自分自身に固有のものというわけではない。たとえば、いま・ここで使っている「ことば」だって、僕個人の“所有物”ではなく、小さいころに(母親をはじめ)家族との会話のなかで憶えた「ことば」を種として、そこに友だちや先生あるいは自分で読んだ本の「ことば」を枝葉としながら培ってきたものにすぎない。コトバは「自己」にではなく、「他者」に由来している。だからこそ、「気持ちが上手く伝わらない」といった現象が起こってしまうのだ。コトバというのは、二重の意味で厄介である。第一に、語りたかった意味に受け取られるか保証がない。第二に、語ったことについては伝えるけれど、語らなかったことについてはかたってくれない。 学部以来、僕はこのことを、「他者のコトバで語らされること」と呼んできた。なんだけど、じつは数年前から文部科学省の教育方針が修正されて、「言葉の他者性」についての問題が盛り込まれているらしい。(じっさいに中学校教育で使用されているテキストをみると、僕らのときのとちょっと方針が変わってるのが実感できる)。文部省に反発してたら、いつのまにか文部科学省が自分と似たようなことを言いだしたので、僕はとっても居心地がわるい。だから、というわけでもないが、コトバを完全な他者だと言い切ってしまうのは考えものである。コトバの来歴が「他者」に由来するものであったとしても、実際のコニュニケーションの過程に於いては、コトバは「自己」の内部に深く根づいていることも事実である。(それは、根本的には「他者」でしかない個体を“家族”とか“友人”として「自己」の内面に受け入れるのとおんなじ)。「コトバは自己か、コトバは他者か」という問いかけは、じつは「鶏が先か、卵が先か」という問いかけと論理的には同型で、けっきょくのところ“答え”はない。

「自分」というのは“器”である。器はどうして器なのだろう。その粘土にひみつがあるのか。その釉薬にひみつがあるのか。ちょっとちがいそうである。というのも、じつは器とは「実体」ではない。それは、水を汲み、あるいは茶の湯を注がれるという「機能」のうちにこそ、“器”として立ち現れるからだ。お茶碗のお茶は絶えずして、しかも元のお茶にあらず、とはよくいう(←え)ものだが、お茶(=ことば)が変れば器(=ひと)も変わる。もちろん、器が冷めていてはせっかくの茶も“台無し”だろうが、基本的に大切なのは茶である。「自己」とは、まさに「ことば」によって“語られる何か”(=客体)なのである。だからこそ、僕は自己(=客体)を知るために書いている。自己が根源的に自己(=主体)であるなら、もはや書く必要さえないのだ、たぶんね。