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近代化時代の歴史と伝統 ――『神々の微笑』と近代日本――

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 ?H2>■はじめに■

 芥川龍之介は、歴史に材を採った作品を数多く残している。柄谷行人は『日本精神分析』において、「彼(註:芥川)が生まれる以前の日本人が、外国の文化や思想をどのように受け取ったかという問題を検証しようとする一貫した意志があったように思われる」と記述している。――和漢洋の学籍に通じた大正文学の旗手は、(文学のみならず)文化の重層性・複合性を深く認識していたのだ。
 『神神の微笑』は、そんな芥川の風刺に満ちた名短編である。これはいわゆるキリシタンものであるが、史実を基にした作品ではなく、日本におけるキリスト教受容(のみならず外来文化の浸透)の実態を痛烈に皮肉ったカリカチュアとなっている。この作品を熟読することによって、日本人がいかにして外来の思想・文化を受容してきたか(逆説的にいえば受容してこなかったか)ということについて知ることが可能である。
 今回は、芥川の作品を叩き台としつつ、近代日本の神観念――特に「God」と「神」の相克について考えてみたい。


 ?H2>■『神神の微笑』あらすじ■

本文テクスト
 宣教師のオルガンティノ(Padre Organtino)は、日本の風景を美しいと感じ、また日本におけるキリスト教の浸透にも満足していた。しかしながら、彼の心の片隅には一片の翳りが萌している。――彼が憂鬱に感じているのは、日本人の心に染みつく“邪宗”の力であった。
「この国には山にも森にも、或いは家屋の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居ります」
 彼は祈祷の言葉の中で次のように告げる。――「私は使命を果すためには、この国の山川に潜んでいる力と、――多分は人間に見えない霊と、戦わなければなりません」と。
 南蛮寺の内陣で天の岩戸(日本神話のワンシーン)の幻影に苦しめられた翌日、オルガンティノは或る老人と出会う。老人は「この国の霊の一人」を名乗り、オルガンティノに対して次のように告げる。
「それ(註:布教活動)も悪いことではないかも知れません。しかし泥烏須(でうす)もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ」
 泥烏須に勝つものはない、と反論するオルガンティノに対して老人は告げる。――キリスト教以前に日本へ渡来した老荘思想儒教哲学、仏教はいずれも、「我我の息吹き」のために和らげられ、日本の風土の中で質的に変化を起こしたことを。
「……我我の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです(中略)事によると泥烏須自身も、この国の土人に変わるでしょう。支那や印度も変わったのです。西洋も変わらなければなりません」
 そう云いのこして、老人は姿を消すのであった。


 ?H2>■造り変える文化■

 作中、オルガンティノと老人の議論は、両者の認識のズレを内包していたために結局は“スレ違い”に終始している。そしてこれは、西洋人と日本人の間に存在する思考的な乖離を象徴的に示しているといえよう。
 「泥烏須が勝つか、日本の神々が勝つか」……一神教的立場に依拠するならば、「勝つ」とは文字通りに邪宗(異なる信仰体系)を打ち負かすことに他ならない。しかしながら、日本思想に立脚していえば必ずしもそうではない。外来の思想を取り込む、――つまり日本の風土に合わせて「造り変える」ことも「勝ち」の範疇に含まれるのである。
 日本人の特殊な思考は、おそらくその伝統的な共同体意識のためだと言ってよいだろう。狩猟民族としての西洋人(弱肉強食)と、農耕民族としての日本人とのあいだには、伝統的に醸成された認識の差異が存在する。文化の受容を語るにあたって、このような歴史的背景に対する視点は欠かせない。


 ?H2>■神=Godという誤謬■

 日本人の「造り変える力」が最もいかんなく発揮されたのは、おそらく明治期、文明開花の時代であろう。
 近代化をラディカルに推し進めていた当時の日本は、西洋文明を受容しつつ発展していった。しかしながら、ヨーロッパ文化圏はキリスト教思想を精神的支柱として発展した歴史を持つ。そのため、非西洋にして非キリスト教文化圏に位置する日本は、近代化(=西洋化)を進めるにあたって大きな壁に直面した。――そうした文化の壁の象徴的一例として、ここでは「神」という言葉に注目したい。 

 『神神の微笑』において、唯一神「泥烏須(でうす)」と呼称されている。
 初期の宣教師やキリスト教徒たちは、西洋の「God」をいかに翻訳するかという点に多大な苦心を余儀なくされた。……泥烏須、大日、天帝、上帝……さまざまな訳語が当てられた末に、今日では「神」という語に落ち着いてしまっている。
 この「泥烏須」から「神」への移行が、すなわち唯一神が日本的な神々の一人に「造り変えられ」る過程だったと考えられるのである。

 日本人の伝統的感覚では、「神」とは「森羅万象に宿る八百万の神々の一人」を表わす概念であって、「唯一絶対の存在」を示すものではない。この差異が摩擦を生じかねないために、初期の宣教師や信徒たちは「God」をいかに日本語訳するかに苦心したのである。
 しかしながら最終的には、「God」=「神」だという牽強付会な翻訳が定着してしまった。この誤訳のために、大多数の日本人には西洋的な「God」の概念が非常に分かりにくくなってしまっている。――ここで上図を参照されたい。これは神観念における日本人と西洋人との差異を、単純化して示したものである。

西洋人の考え方――「God」は世界の創造者であり、自然も人間も「God」によって支配される存在。
日本人の考え方――神も人間も、自然界でなかよく共存する存在。

 「God」は全能の御主であるから、もちろん唯一絶対、その性質も不変のはずである――《「泥烏須に勝つものはない筈です」》。しかしながら日本の「神」の場合、その性質は自然(=風土)の中で造り変えられる余地を持っている(…あたかも人間が、生まれ育った環境によって性格を異にするように)。
 「God=神」という誤謬が一般化したために、日本人の神観念に大きな混乱が生じた。語弊を恐れずに言えば、「God」は自然の中に生きる八百万の神々に組み込まれたのである。


 ?H2>■日本思想自体の変容■  
 異なる文化が衝突する際、日本においては両者を融合させることでより豊かな文化を育んでいった。ということは、「God」と「神」の対立にも相互浸透的な変化、――つまり「God」が日本的な「神」へと変質したと同時に、日本古来の「神」も西洋的な「God」の性質を具えたことが仮定される。
 近代日本において、天皇が強烈な父権を持つ存在として近代的な元首の位置に据えられたのは、必ずしも伝統的な日本の神観念に依拠するものではない。それはむしろ、西洋キリスト教の考えに近いものだといえよう(上図の《西洋の考え方》の「God」に天皇が相当すると考えると分かりやすい)。
 父性としての天皇を中心とする家族国家的な価値観が、日本における近代化の精神的支柱となったことは事実である。しかしながら、その点に関して少なからぬ問題提起がなされていることも否定はできない。


 ?H2>■まとめ■  
 現在、天皇制と維持する根拠として「歴史と伝統を体現する存在であること」が挙げられている。これはもちろん誤りではない。けれども、そのような伝統が他でもなく近代化の時代に見直されたものであるという事実は、ある重要な示唆を含んでいる。――歴史とは固定化された過去を意味するのではなく、近代や現代に至るまで連綿と流れ続けているダイナミックな変化――過去の具体的事実または制度ではなく、変化のベクトル(流れ)を表す言葉であるとする視点である。
 天皇を中心とする一神教的側面において、明治期のいわゆる国家神道は伝統的な日本人の価値観、また伝統的な天皇の在り方とも大きく逸脱するものであった。それゆえ“進歩的”な識者は明治以降の天皇の在り方に懐疑を抱き、場合によっては否定する。
 けれども、日本という国が近代化の道を指向したことは、歴史的にも不可避の道であったと筆者は思う。また近代化の過程で、天皇が歴史や伝統の体現者として焦点化されたことも、現在のわれわれがとりたてて非難すべきことではない。ただ、過度の近代化・西洋化によって歪曲された部分に関しては、逐一閲しつつ、伝統的な在り方へと改めていく努力は必要だろう。
 われわれが生きる現代もまた、連綿たる歴史の一ページに他ならない。そして、外来の文化を受容しながら変容する日本文化のダイナミズムは、依然として働きつづけているのである。



 ?H2>■参考文献■

 『日本精神分析柄谷行人 文藝春秋 2002年7月30日第一刷発行
 『神と近代日本―キリスト教の受容と変容―』塩野和夫/今井尚生・篇 2005年3月10日初版発行
 『近代日本の批評 明治・大正篇』柄谷行人・編 福武書店 1992年1月15日第一刷発行