倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

危機の時代の神学

衆議院議員選挙に向けてまわりが騒がしくなってきたので、調子に乗って書いてみよう。そういえば、先日の「表現者シンポジウム」の感想も書いてなかったし。

結論からいうと、ぼくは(選挙結果もふくめて)“政局”がどうなろうが、まったくと云っていいほど興味がない。どうせ今回も「マスコミの煽動によってトンデモない結果になる」というぐらいの予想はつく。

それでも、「これから世界はどう動くのか、危機の時代をぼくたちはどう生きるのか」という“われわれの生存の問題”としての“政治”については、関心をもっているつもりである。

いつも選挙のまえには本を読むことにしている。今回は、次の三冊を読みなおしたい。

 1.エドワード・サイード『知識人とは何か』
 2.カール・バルト『国家秩序の転換期におけるキリスト教会』
 3.中野剛志『恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか』

いっけん“政治”とは関係なさそうに思えるかもしれないけれど、ぼくとしては、この三冊を「いま読む」ことには歴史的な必然性があると思う。(未読の方も多いと思うから、いまはまだ詳しく書かないけどね)。

選挙だからって“政局”ばかり睨んでいたら近視眼的な見方しかできそうにないじゃないか。…と云いつつ、姫のお父さんの選挙区が気になってさっき調べてみたら、なんと相手はDAIGOの大叔父さんじゃないか。

歴史の動乱を生きぬくのは「じぶんの神学を持っている人間」である。「神学」と云っても、べつに“小難しい屁理屈”とか云う意味ではない。そうではなくて、“混迷しているかにみえる状況のなかから本質をクリアーに洞察できる才能”のことだ。

神の存在を信じるとか、信じないとか、そういうレベルの話ではない。本質的に重要なのは、「じぶん自身の価値基準の“軸”を持つこと」である。というわけで、よろしくWISH!←