「芥川 龍之介 <叙述>の機能としての焦点化について
――『煙管』『羅生門』『藪の中』を中心に――」
所定の用紙に記入して、ゼミ教授に提出しました。もう変更はできません(笑)。
論文内容は、特に『藪の中』で顕著な多元内的焦点化(…特定の主人公一人の視点だけではなく、複数の人物の視点から物事を描写すること)に注目し、そこから<叙述>〔物語を語る〕という行為の(不-)可能性だとか、
近代文学のなかで描かれてきた特権的な「私」の解体、――そこから敷衍して、価値観の多様化した世界の中でいかに自己を相対化して他者(異文化)を理解することができるか/できないか、についても触れたいと思っています。
加えて、1925年前後にこうした多元描写を多用した芥川が、1927年の新潮合評会において自身のこうした手法を
自己批判した理由はなにか。その後、
ドッペルゲンガーというかたちで芥川自身の自我が多元化(というか解体)してしまった理由は何か。――こういったことも考えていきます。