人は変わらないものなの?
いい歳とってね。
「ゆく河の流れはたえずして、しかも、もとの水にあらず。」
……古人の看破したこの言葉は、いまでもなお、多くの示唆に富んでいます。
人間の身体の70%は、水でできているそうです。しかも、新陳代謝の作用によって、身体を構成する水は、たえず新しいものと交換されています。
……古人の看破したこの言葉は、いまでもなお、多くの示唆に富んでいます。
人間の身体の70%は、水でできているそうです。しかも、新陳代謝の作用によって、身体を構成する水は、たえず新しいものと交換されています。
身体がそうなら、頭の中もまさにそうで、たくさんの書物、あるいは他者の言葉に触れるたび、それまで思いもつかなかった新たな発想が芽生えたり、それまでの固定観念が完全に間違っていたということに思い至ることもあります。まさに思考も「みずもの」なのです。
重大な選択に慎重な方々に対して、「優柔不断だ」とか「自分の考えを持て」とか、きびしい批判がとぶことがあります。もちろんそれもまちがいではありませんが、正しい答えを選ぶために真摯に迷っている人を見てると、僕はむしろ「誠実な人なんやろな」、と思ってしまいます。そういう人はひょっとすると、「自分の考えは絶対ではない」ということに気づいているのかもしれません。……今日の自分の選択は、明日の自分には「バカな選択」と映るかもしれない。他人から見れば「正しくない」と思われるのかもしれない。人は成長するものだから、いまこの瞬間の自分を過信することはできない。……
まあ、何らかの選択のたびに一々そんなこと考えてたら、それこそ社会から置いてかれますけど(笑)、でも、「自分の考えにまちがいはない」と変に依怙地になっている人よりかは、柔軟な思考を持っている人の方が、ものごとを鮮やかにこなしていける可能性を持っているかもしれません。まして「流されたくないから」と他人の話に耳を貸さない人などは、逆に自分の信念が弱いことを隠していそうです。
まあ、何らかの選択のたびに一々そんなこと考えてたら、それこそ社会から置いてかれますけど(笑)、でも、「自分の考えにまちがいはない」と変に依怙地になっている人よりかは、柔軟な思考を持っている人の方が、ものごとを鮮やかにこなしていける可能性を持っているかもしれません。まして「流されたくないから」と他人の話に耳を貸さない人などは、逆に自分の信念が弱いことを隠していそうです。
流されない信念も大切。だけど時と場合によっては、変に岸辺にへばりつかずに河の流れに乗った方が、ものごとはずっとスムーズに動いていくのかもしれない。より大きな世界が、その先には待っていたりして。
(…ちなみに写真と本文とはぜーんぜん関係ありません。)