倉井の策略!?

なんか ちょっと おもいついたことなどを かくのです。

まつ☆さんの質問に対する返答♪

イメージ 1

 ……グッドな質問でっす!☆

?H2>■はじめに■

 竹田恒泰さんのブログ「竹田恒泰日記」のゲストブックにて、まつ☆さん(ハンドルネーム)から質問をいただきましたので、こちらで返答いたします。

?H2>■質問内容■

 さて、まつ☆さんのご質問は、「戦時下の戦争協力に関しては、現在キリスト教(…並びに仏教)関係者の間で痛烈に反省されている」という僕(kamuya_1999こと倉井香矛哉←筆名ですけん!笑)の発言を受けてのもので、具体的には、――

>kamuyaさんの戦時下、とは大東亜戦争のことでしょうか?「痛烈」な反省とはどのようなものか教えていただけますか。

 ……というものでした。これは二つに分けたほうが分かりやすいだろうと考えたので、以下、

 ■1.「kamuyaさんの戦時下、とは大東亜戦争のことでしょうか?」に対する返答。■
 ■2.「『痛烈』な反省とはどのようなものか教えていただけますか」に対する返答。■

 ……この二章に分けて返答いたします。
 
 ※なお、ここでは事実の列挙・資料の提示によって、「現在の一般的なキリスト教関係者が戦前の歴史をどのように認識しているか」を示したものです。従って、「必ずしも僕自身は、以下の記述と100%同意見ではない」ということを(…自己弁護めいてしまいますが、)前もってお断わりしておきます。とはいえこれらの文章の最終的な文責は、このブログの主たる僕にあります。質問・意見等ありましたらば、でしでしお寄せください。※


?H2>■1.「kamuyaさんの戦時下、とは大東亜戦争のことでしょうか?」に対する返答。■

 一般的に「戦時下におけるキリスト教会の戦争協力」といえば、大東亜・太平洋戦争におけるものが印象的です。けれども日清、日露戦争においても、同じような戦争協力が推進されていたことは、まつ☆さんが引用してくださった新田均氏による記述でも明らかだといえます。

「彼ら(註:明治期のキリスト教徒)は帝国憲法によって信教の自由を与えられ、明治天皇に深い感謝の念を懐くとともに、キリスト教教育勅語の一致を確信していた。憲法発布に際し各地で祝賀会を催し、日清日露戦争にも進んで協力した。」
 
 参考までに、「日清、日露戦争下(…並びにそれ以降の時代)において、日本のキリスト教会がいかなるかたちで戦争協力をしたのか」についてまとめてみたいと思います。

?H5>日清戦争下の戦争協力

 ○当時のキリスト者は、清に対する宣戦の詔勅が唱える日本参戦の正当性を神聖なものとうけとり、天皇への忠誠の証として戦争協力を行った。
 →ここで具体的にどのような戦争協力が行われたかに関しては、手元の資料が不十分なために明らかではありませんm(_ _)m。

?H5>日露戦争下の戦争協力  
 ○1904年、日露戦争勃発と同時に、日本基督教会伝道局では戦時伝道部を設置。国内外での伝道の強化に乗り出す。
 →キリスト教伝道というかたちでの対外統治への協力
 
 ○戦後、大陸における支配権の確立に伴い、朝鮮半島への伝道活動を活発なものとしていった。
 
 ===== それ以降の時代 =====  

 ○日本組合基督教会の朝鮮人伝道
  →組合教会は、韓国併合が行われた1910年の第26回総会中の信徒会にて、朝鮮人伝道着手に関する決議案を採択。
  →1911年6月から、朝鮮人伝道開始。 伝道主任:渡瀬常吉(1897-1933)
  
  柏木義円(1860-1938)、湯浅治郎(1850-1932)、吉野作造(1878-1933)らは、朝鮮人伝道へ反対。……しかし、組合教会の大勢は推進に賛成・協力
  →かくして、対外統治政策に対するキリスト教会の組織的協力体制が形成される。

?H2>■2.『痛烈』な反省とはどのようなものか教えていただけますか」に対する返答。■

 1995年、大東亜・太平洋戦争の終戦から50年後にあたって、多くのキリスト教団体が声明を発表しました。ここでは、プロテスタントカトリックそれぞれの代表的団体による見解として、「日本キリスト教協議会の声明」と、「日本カトリック正義と平和協議会の声明」の二つを紹介します。

 ?H5>日本キリスト教協議会の声明

    
「戦後50年」の時に当たって

 ……(前略)……わたしたちは、NCC(註:日本キリスト教協議会)に関連した戦前の歴史を振り返る時、天皇制を土台にした日本の富国強兵政策の下でなされた日本の台湾・朝鮮への植民地政策や中国への侵略、そしてアジアの国々への侵略の歴史に、時には沈黙を守り、時には積極的に協力していった日本の基キリスト教界の姿を見ることができます。……(中略)……わたしたちは「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(申命記5章7節)と教えられているにもかかわらず、天皇の神格化に迎合し、礼拝の前には「宮城礼拝」を行い、「皇軍」のために祈りました。
 わたしたちは神から示された預言者的役割を担わず、むしろこの世の力ある者の側に身を置いて生きてきたことを告白せずにおれません。これは、わたしたちの主イエス・キリストの教えに反する生き方でありました……(以下略)……。


新しい出発のために 戦後50年にあたって、日本カトリック正義と平和協議会の声明

 ……(前略)……歴史を振り返ってみると、日本は1894年の日清戦争以来、アジア・太平洋地域への大規模な侵略を行い、その結果を国益として享受してきました。
 歴史は、私たち日本のカトリック教会もまた、アジア・太平洋地域の踏みにじられた兄弟姉妹の苦しみや訴えに耳を貸すことなく、戦争を正しく聖なるものとみなし、積極的に加担し押し進めてきたことを明白に記録しています……(以下略)……。

 かなり乱暴に略してしまいましたが、これでおおよそ「痛烈」な反省とはどのようなものかについての返答になったのではないかと思います。もっと詳しく知りたい場合は、『日本キリスト教史を読む』(塩野和夫・著)が便利です。たいへん読みやすく、たくさんの情報が凝縮されています。

 ?H2>■まとめ■

 ……繰り返しになってしまいますが、僕自身は上記の団体の反省・歴史観とは必ずしも100%同意見ではありません。それはともすれば、東京裁判史観を100%肯定した上に立脚している、と見えなくもないからです。しかし、自らの過去を悔いる態度は、善く生きる上では絶対に欠かせないものですし、仮に先の戦争が理念の上で「アジア解放」の正義を掲げていたとはいえ、現実下には甚大な苦しみを周辺国に強いたことは、否定することはできません。
 歴史を捉えるにはバランス感覚が必要です。日本の歴史において、「本当は良いものなのに誤解されている点」は、どんどん改正されるべきです。しかし、「やはり悪かったと思える点」は、素直に認めて構わないと思います。
 
 十分ではないかもしれませんが、図書館閉まっちゃうので以上です。